コロナ禍にあって独自のスタイルを貫く

ビジネスコラム

 以前、東京にある湯島聖堂において「論語」「孟子」を漢文で読み下す講座を受けていたことがある。「論語」に比べ「孟子」はかなり量が多い。どちらも月に1回の講座だ。「孟子」はすべて終えるのに3年以上を要する。月に1回自宅から湯島聖堂まで30分かけて歩いて通った。
 
 どちらの講座も老若男女20人前後が出席していた。私は60才を過ぎてからの学びだった。月に一度の口座が新鮮で待ち遠しく思えた。人が学ぶに年は関係ない。出席者の多くは私より歳上の方々だった。各自が熱心にノートを取ったり講師の話を熱心に聞き入っていた。彼らの姿が輝くようで若々しく思われた。
 
 私が自宅で企業後継者のためのセッションを始めて7,8年になる。月に一度、マンツーマンで行っている。今一番長く来ている後継者がもう4年目になる。月に一度なので月次試算表を持参させ、まずは数字を見ながら経営全般の話をしている。都度、問題があれば問題の真因は何かを追究する。
 
 問題の真因が明らかとなれば、問題解決のための課題を設定する。それを毎月繰り返している。残り半分の時間を後継者とふたりで中国古典『大学』『論語』『孟子』『中庸』をビジネスで読み解くという試みをしている。これまでの塾生は『論語』までだが、4年目に入った彼は初めて『孟子』に臨んでいる。
 
 いわゆる四書五経の四書をビジネスセンスで読み解いてみようという試みだ。かつて学者が殿様にマンツーマンでご進講とやらをしていたのと同じスタイルだ。ただ違うのは私が一方的に話すのではなく後継者も同じように感じたままを話してもらうことだ。私とはまた違った切り口で話が出てくるのがまた面白い。
 
 昔、吉田松陰はペリーが日米和親条約を締結するため再びやってきた際、旗艦「ポーハタン号」に乗艦し米国に渡航しようとし拒否された。その後、幕府により長州へ檻送され、藩により野山獄に幽囚される。その獄中、他の同囚の者たちに松陰は『孟子』を講義することになる。
 
 その時の講義録を号して『講孟劄記』という。私のセッションは松陰の命を懸けた講義とは雲泥の違いであるが、後継者との真剣な切磋琢磨の連続であることは間違いない。彼ら後継者とのセッションの成果として拙著『親子経営 中国古典「大学」から学ぶ32の成功法則』(セルバ社)があることは伝えておきたい。
 
 先日、月に一度のセッションで『孟子』を読んだ後、4年目になる後継者が私に言った。「先生とこうして4年間学ばせてもらって本当によかったと思っています。会社経営のことだけでなく公私に亘りいろいろと助言していただいて有難く思っています。おかげで迷いも無くなり進む道が見えてきました。これからもよろしくお願いします」
 
 どこの会社にもそれぞれ特有の問題がある。後継者の抱える問題も同じようにそれぞれ特有な問題だ。各社に共通する問題は当然存在する。概論と各論のようなものだ。親子経営コンサルタントとしての私のスタイルは各社に寄り添ったうえで、各社の各論を論じ解決するための助言をすることだと改めて感じている。