親子経営 繁盛と繁栄の秘策 父親がしてはならない7つのこと 6 息子への執着と過度な期待  (2015年11月13日)

ビジネスコラム

息子への執着と過度な期待

今回はドイツの叙情詩人・小説家であったヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」という本の話から始めます。私はこの本を昨年友人の勧めで初めて読みました。以来今回で6回読んだことになります。

もともと私は多読、乱読がスタイルで同じ本を2回と読むことなどしたことがありませんでした。そんな私がこの本をなぜ6回も読んだのかと言いますと、この本を勧めた友人がこの本を500回以上読んだと言ったからです。

それを聞いた私はなぜ友人がこの本を500回以上も読んだのかをただ単純に知りたくて読んでみたのです。すると不思議なことに2回、3回と読んでみると毎回違うところが気になったり、新しい発見があることに気が付きました。

そして現在6回読んだ私が今最も印象に残っているところをお話しします。ブッダが生きていた時代のインドでの話です。シッダールタというバラモンの息子がいました。彼は父のもとで純粋で優秀な修行者として育ちました。

シッダールタは人生の意味を探求すべく修行の旅に出ていきます。数々の苦行を重ね、川守りをしながら川から多くのことを学びます。遂には凡人にはなし得ない悟りの境地に至ります。

そんな彼のもとにある日突然彼の息子が現れます。若き日に愛した女性との間にできた子供でした。女性のもとを彼が去ったとき彼女のお腹には息子が宿っていました。そのことをシッダールタは知ることなく出てきたのでした。

長年の苦行を経て安らかで平安に川守りをしながら川と対話をして過ごしてきた彼のもとに見知らぬ少年が現れ自分の息子だと知りました。そのときのシッダールタをまるで雷が突然目の前に落ちたかのような衝撃が襲いました。

それまでの苦行、修行など何にもならなかったかのようにただシッダールタは動揺しうろたえてしまいました。初めて出会った息子が愛おしく狂おしいくらい大切に思われました。

それからの彼は息子の一挙手一投足が気になってしかたありません。我がままに育った息子がすることをただおろおろと見るだけで叱ることもできません。そんなある日その息子が突然彼のもとから去っていきます。

シッダールタは出て行った息子を追おうとします。しかし途中で探すことを諦めます。そしてまた川守りとして暮らし始めます。インドの広く大きな川がまた彼の心に話始めます。

そんなお話です。シッダールタのように人生経験を重ね数々の煩悩と折り合いをつけ、ようやくにして悟りの境地に至った人でさえ息子が現れただけでただの父親にもどってしまうということがとても衝撃です。

父親にとって息子とは実に厄介な存在です。これほど愛おしくこれほど扱いに困る存在はありません。自分の思うようには決してならないどうしようもないのが父親にとっての息子です。

私自身かつて息子を後継者として彼を縛っていたことがあります。経営者はこうあらねばならぬ、こうしなければならぬ、だから息子はこうあってもらわねばならない、そんなことばかり思って息子と接していました。

当然のごとく私の息子も私に反発しました。いま思えば当たり前の話ですが、当時の私には息子の心が見えていませんでした。息子といえども別人格であり、自分とは全く違う人生を歩むひとりの男だということを私は理解していませんでした。

最後に論語から一節、「備わるを一人に求むる無かれ。」と、あります。私なりに読み解きますと「誰かひとりに十分以上のことを求めてはいけない。」となります。

私は息子に過度な期待をかけていました。彼自身がどう考えているかなど斟酌することなくただただ会社の後継者として息子を見ていました。私の後を継ぐならこれぐらい出来て当たり前、なおもっとそれ以上のことが出来てもらいたいと考えていました。

父親として息子への強い執着は互いを不幸にします。そして息子への過度な期待が息子の反発を招き親子の関係を不和にします。私がそのことに気づいて初めて息子との関係性が変化しました。父親の息子への執着と過度な期待が親子の関係性をおかしなものにします。