ある日の私の憂鬱 (2012年1月30日)

敬天愛人箚記

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今朝、おもしろくない夢を見て、目が覚めました。今日は娘二人がそろって家にいました。朝のコーヒーを飲みながら、娘たちの顔を眺めていた私は、次女に話かけました。次女はこの3月に結婚を控えています。「今、幸せか。」 馬鹿な親父がいたもので、結婚を控え、幸せそうな顔をしている娘に聞くまでもないことでした。次女曰く、「とっても幸せ。思っていた以上、予想以上に幸せよ。」 次いで、間抜けな親父は、今年中に結婚するという長女にも、やけくそぎみで聞いてみました。「あの変な外人とで、ほんまにええのか。幸せなんか。」 それこそ大きなお世話のようでした。長女曰く、「あの子といるのが、とても楽ちんなのよ。とっても幸せよ。」

最近、よく夢を見ます。それもむかしのことばかりです。事業を失敗してから、もう2年近い時間が経つにもかかわらず、心の奥底で、依然といろんな想いが残っているのだと、我ながら驚きです。まるで、ようやくたき火が消えたと思っていたら、灰の下で密かにまだ火がくすぶり続けていたようなものです。今の私の日常は、家族とともに、下町での生活に慣れ、穏やかでのんびりしたものです。いかんせん、のんびりし過ぎて、次の人生がまだ動き始めていないのが、今の私の憂鬱のおおきな原因かもしれません。

私の人生の大きな変化が、子供たちに少なからず影響を与えたことは間違いのないことです。2年前の春、私が会社を潰したとき、長女はそれまで勤めていた病院を辞め、アメリカ留学のため、たまたま私たちといっしょにいました。私たち夫婦が出来ない雑事をすべて済ませた後、アメリカへ向かいました。次女はそのとき、オーストラリアの大学を卒業して、ニューヨークで仕事をしていました。長男は、その年の6月にシアトル大学卒業を控えていました。そんなときの私の事業失敗でした。

あれから、早いもので2年が経ちました。現在、長女は昨年8月に帰国し、私たち夫婦とともに暮らし、近くの病院で職を得ています。帰国の際、長女にはアメリカから恋人が付いてきており、今年中に結婚すると言っています。次女は1昨年の9月から、長女より先に私たち夫婦と東京で暮らしはじめ、日比谷で勤めていました。次女は昨年知り合った男性とこの3月に結婚します。そして、長男は昨年大学を卒業し、シアトルで証券会社に勤めています。彼はいま、自分のクライアントを獲得するため、相当苦労しているようです。しかし、アメリカでの生活をとても気に入ってるようです。子供たちは、それぞれに自分の道をしっかり歩いているようです。しかも、とてもみんな幸せそうです。

あのとき、私のせいで子供たちの人生を大きく変えてしまったのではないか、私のせいで子供たちが今、不幸せだと思っていたなら、なんて陰気な思いでいたのは私ばかりでした。私の人生と彼らの人生は、確かに交わり、織り合わさっていますが、彼らの人生は彼らを主役にして、どんどん進んでいました。私の人生がオリジナルなら、彼らの人生もまたオリジナルでした。互いに影響しあいながらも、それぞれの人生時計はそれぞれに回っているものです。今の私の憂鬱は、私だけのものでした。