うちはうち (2011年9月20日)

敬天愛人箚記

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先日、何とはなく、となりで話す娘たちの声が、耳に入ってきました。妹が何を言ったかは忘れましたが、妹の言ったことに姉が、「うちはうちよ。」って言うのが聞こえてきました。「世間なんて関係ないのよ。うちはうちなんだから、それでいいのよ。」って諭すように言っていました。話の内容は分かりませんでしたが、私も思わず心の中で、「そう、その通り。うちはうちやで。」って言っていました。

人間ひとりひとりに個性があるように、家族にも個性があります。我が家には、我が家のきまりがあり、習慣があります。私と妻が作り上げた家庭ですから、相当個性豊かな家庭です。私と妻の価値観、倫理観、教養といったいくつかの要素が、私たち家族を型創ってきました。それぞれの家庭が独自のルールと文化を持っているものです。それが家風とも呼ばれるものでしょう。考えてみれば、本来、国家も同じことなのでしょう。「うちはうち。」と胸を張って言える父親と政治家が少なくなったように思われる今日です。

我が家の信条の一つに、世の中は広い、日本だけが生きる場所じゃない、というのがあります。日本という島国のなかの小さな淡路島で生まれた私は、子供のころに、大きくなったら必ず外へ出ようという思いが、強くありました。人一倍、独立心、自立心の強い子供でした。私は大学を卒業し、親父が経営する会社を継ぐべく帰郷しました。それまで淡路島島内だけであった商圏を全国に広げようと、各地に支店網をこしらえました。日本だけでは飽き足らず、世界中で開催されるビジネスショーを見に何度も言ったものです。海外企業と取引を始めたり、海外の事業に参画したりしました。結果は、会社を破綻させ、すべてを失くしましたが、何の後悔もありませんでした。精一杯、背伸びをして眺めた世界の大きさと広さに素直に感動しました。

そんな私ですから、子供たちを小さなころからいろんな所へ連れて行きました。世の中を、広く使って生きてもらいたいと、心から望んでいました。子供たち3人とも、期間の違いはありますが、留学経験があります。おかげで3人とも英語が話せます。英語が話せることは、これから生きていくなかで大きなアドバンテージを持っていることになります。残念ながら、私と妻は英語がうまく話せませんが、将来生まれてくる孫のなかに英語しか話せないのができるかもしれませんので、少しずつ英会話の勉強をしなければと思っています。 

こんな我が家ですから、他の家庭といろんな違いがあるのだと思います。子供たちが小さいとき、学校でそれぞれに何らかの理由でいじめられていたと、後から聞きました。おそらく、自分の家と友達の家とが違っていることが分からず、他の子供たちから奇異に思われることが多かったのかもしれません。親たちのなかでも、私たち夫婦は妙に目立っていたようですから、無理もない話でした。家族、家庭にオリジナリティーを持つことの面白さ、大切さを、今は我が家のみんなが理解しています。そして我が家のオリジナリティーにそれぞれみんなが愛着を感じ、互いの個性を尊重しながら、それなりに楽しみ、調和しています。

「うちはうち。」