ふるさとの港町 (2012年4月21日)

敬天愛人箚記

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3,4日の帰郷が、つい1週間になりました。

田舎の風景は、なんら変わっていませんでした。

わたしがいた頃より、街中が静かになっていました。
一段と街が寂れた気がしました。

どこも同じでしょうが、わたしたちが子どもの頃、古き昭和の時代のほうがはるかに賑やかで活気がありました。

わたしが生まれたのは、瀬戸内海に面したちいさな港町でした。
街には食料品から衣料品まで生活に必要なものがすべてそろっていました。

食堂、肉屋、魚屋、鳥肉屋、八百屋、服屋、履物屋、本屋、文房具屋、駄菓子屋、おもちゃ屋、そして映画館までありました。

町のひとが町のなかで、生活するのに必要なすべての機能が備わっていました。
そこには田舎だけれど、人びとの生活、人生そのものがありました。

その港町が今は、見るも無惨な姿をさらしています。
かつて賑わった商店街は一軒残らず閉められており、昼は誰一人歩くひともありません。

漁港を見ると、経済成長の時代に造られ、コンクリートで固められた重厚で立派な港湾設備が、そ
の用を果たすことなく寂しげでありました。

漁に出る数隻の漁船が詫びしげに恥ずかしげに繋がれていました。

そして、近くを走る高速道路のインターチェンジ周辺のショッピングセンターだけが、かろうじて営業を続けています。

今の日本の田舎の有様は、どこも同じようなものでしょう。

わたしが育った賑やかで騒々しいほどの港町が失くなっていました。
祭りにはたくさんの屋台がでて、だんじりが練り歩いた神社の境内がとても狭く感じられました。

まぶたを閉じると、いまもあのだんじりの太鼓の音が体に響きます。

ドン ドン ドン ドン ドン ドン

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向こう3年で、子息に継がせたい社長

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  ビジネスデザイナー・エグゼクティブコーチ

         大石 吉成

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