フリーランスという生き方 (2012年1月12日)

敬天愛人箚記

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フリーランスには二通りの人がいます。1つは、誰にも雇われたくない人、つまり組織に属すことを潔しとしない人たちです。2つめは、誰も雇いたくない人、つまり何事も独りでやろうとする人たちです。脱サラの方々は1つめでしょうし、私は2つめです。

私の今の事務所は、ホームオフィスでもあります。木造一軒家の1階部分を事務所として使っています。流行ってない稼業ですから、来客もまばらです。よって、ほとんど私の書斎代わりで、私のプレイルームです。かつては、本社事務所を含め全国10か所に余る支店、工場、店舗を持っていました。月に一度、各事業所に顔を出せればいいくらいでした。それが、今は、家と事務所が同じところにあるのですから、便利といえばこれほど便利なことはありません。決して負け惜しみでなく、一度は家と事務所が一緒のところに住んでみたいと思っていましたから、今の状況はとても快適です。

アメリカの経済フリーライター、ダニエル・ピンクは「フリーエージェント社会の到来」(ダイアモンド社)の中で、アメリカのフリーエージェント(フリーランス)の数は1650万程度いると推定しています。現在、日本でも相当数のフリーランスがいると考えられますが、正確な数字はつかめていません。

日本では、終身雇用制を維持できていた頃は、会社があらゆる意味で絶対の存在であり、安心、安定の源でありました。会社にさえ属していたなら、生涯の収入保障が得られていました。それ故、会社に対して、疑いのない真摯な忠誠心が生まれていました。それが、バブル崩壊以降、企業の終身雇用制が崩れ、それまでの状況が一変してしまいました。企業においては、リストラの名の下で、絶対ありえないと思われたいた首切りが始まりました。安心、安定であったサラリーマンの職業が、途端に不安定なものとなりました。それまで絶対の存在であった会社が、実は資本市場の中の不安定な企業であったことに、初めて気づかされた瞬間でした。

会社や団体という組織にさえ属しておれば、何とか生かされた時代は終わりました。組織そのものが生きるか死ぬかの競争社会の一員であったことが明らかになったのです。組織は組織の一員に将来に渡る生活の保障をしてきました。替わりに、組織の一員に絶対的な忠誠心を要求していました。このシステムが崩れ去ったのです。

かつて事業経営者であった私自身、結局のところサラリーマンと同じように会社そのもに依存して生きてきたことに変わりありません。経営者もまた組織の一員でした。ややもすると経営者は、己の人格と会社を同一視していることがあります。大いなる勘違いですが、己の才覚だけで会社がもっているのだといった尊大な気持ちが、えてしてあるわけです。それが、私のように会社を失くした途端、会社あっての自分だったと気づくのです。これは、特にエリートサラリーマンにも言えることです。彼らも会社を辞めた途端、自分自身の身の程を知らされることになります。私たち多くが、組織人間であったことを自覚し、組織に依存して生きてきたことを再認識する必要があります。この世の中で、改めて、自立して生きていくことを考えねばなりません。

私は、これからは、雇わない、雇われない生き方もありではないかと思うのです。そのひとつが、私のようなフリーランスです。フリーランスという生き方は、自由で気ままな反面、現実に仕事を得るには非常に厳しいものです。ほんの一握りのフリーランスだけが飯を食えているのでしょう。それでも、あえて、私はフリーランスという生き方に拘ろうと思っています。どうせなら、何かに依存して生きるより、自立した生き方の方が、はるかに生きがいがあるように思えるのです。