友という人 (2015年1月29日)

敬天愛人箚記

日暮らしに徒然としたしたことを記したものを敬天愛人語録として載せています。
もう書かなくなって2年以上になります。
以前は出来るだけ毎日書かねばとしていました。
これからは不定期に思いつくまま徒然と書くことにしました。

友という人

先日、友人から読書会の案内がありました。
友人が「孫子」を読み解くというのです。
これは面白そうだと出かけてみました。
彼と知り合ってまだ一年になっていませんが、彼と過ごす時間がとてもなぜかしら気に入っています。

私はそもそも「孫子」を読んだことがありません。
ビジネス書の類で目を通した程度です。
友人が「孫子」をどのように読み聞かせてくれるのか興味津々でした。

まずは原文を眺め、読み下し文を読み、続いて現代語訳を読み、彼が解説するという流れで始まりました。
そのなかで、漢字や言葉が時代によって意味と使われ方が違うという話になりました。
例えば友人という言葉です。
我々が使う友人という言葉が今と孫子の時代では大きく違うのだと彼が言います。

今の私たちが言う友人、友達とは割と幅広く親友も含め多くの人々のことを指しています。
なかにはそう親しくない人たちまでいます。
遊び友達、飲み友達、さらにはフェースブック友達までいます。

一方、「孫子」の時代で言う「友」とは命をかけた付き合いであり、あの人の為なら命を捨ててもいいと思うくらい大切で大事な人が「友」だったといいます。
確かに中国で使われていた漢字が日本に渡り、長年日本語を形成していく過程でその言葉の意味や使い方が大きく変化してきたということは当然のことです。

58才の私が、人生後半にして出会った「友」がその読書会を開いた彼です。
私には「友」と言える友人がいますが、殆どが若い頃に出会いました。
この年になってからまさか「友」と言える人に出会うなどと思ってもいませんでした。

生きていてよかったと思える出来事のひとつです。
私の人生とても幸せだと思っています。
「友」がなにかをやるのなら喜んでお手伝いしたい、なにかをしなくても共にいる時間を過ごしたい、そう思えることがまた嬉しくてしかたありません。