妻の誕生日 (2011年7月17日)

敬天愛人箚記

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今日はあなたの54回目、私たちが結婚してから29回目の誕生日です。私たちが今、東京で二女と三人で暮らしていることを、かつての私たちには想像すらできませんでしたね。ここ東京下町での生活に、何年も前からここで暮らしていたかのような錯覚すら、憶えています。事情はどうあれ、私は今、本当に幸せです。毎日毎日が、とても穏やかに過ぎています。あなたのお陰だと感謝しています。

29年前、私が26歳、あなたが25歳でした。あなたの父親が私たちを見合わせました。二度目のデートで結婚を決めましたね。私もあなたも、何の迷いもなく運命だと思っていましたね。あの頃の私は、訳もなく苛立って、つっぱっていました。あなたはそんな私を戸惑いながらも、一生懸命理解しようとしてくれましたね。結婚後の私は、あなたを泣かせてばかりで、決していい夫ではありませんでした。仕事にJCにと、家庭を疎かにしていました。そして、あなたをたくさん傷つけました。子供たち三人は、あなたのお陰で、素直で素敵な大人になりました。三人の子供たちをこころから誇りに思えることが、私たちの幸せだと思っています。

2年前、私は人間ドックで慢性骨髄性白血病と診断されました。そして翌年、長年経営してきた会社を倒産させてしまいました。その間、あなたはいつもと変わらず、明るく元気で朗らかでいてくれました。私は、そんなあなたのお陰で救われました。あなたのお陰で、一度も死のうなんて思いませんでした。あなたと子供たちと、少しでも長く生きて、一緒にいたいと思いました。

昨年春、倒産したその日の夜に、あなたと海を渡って故郷を出ましたね。夜空に星がたくさん見えていました。まだまだ寒い夜でした。私の伯母が二人をやさしく迎えてくれましたね。それから伯母の家での居候生活が始まりました。伯母の家は古い木造家で、部屋には隙間風が入り、とても寒かったね。煎餅蒲団で震えながら抱き合って眠りましたね。寒くはあっても、二人でいると悲しくはなかったね。伯母の家のみんなが、やさしくて、ありがたくて、二人で何度も泣きましたね。友人たちもたくさん訪ねてくれました。

あれから早いもので1年と4カ月がたちました。相変わらず、私は破産者で失業者です。あなたがいっしょにいてくれるお陰で、私はりっぱな破産者で、元気な失業者です。あなたと私のたくさんの友人たちが、私たちを支えてくれました。お陰で、二人の会社を持てました。ほんとうにゆっくりですが、少しずつ歩きだしました。以前のような無理はしません。私一人でやれるだけの仕事をします。決して多くは稼げませんが、あなたと私が生きていけるだけ稼ぎます。それでもいいですよね。

私は亡くなった私の母が、私たちがこうなることを知っていたのかもしれないと思う時があります。病弱であった私の母は、あなたを初めて見たとき、心から喜んでいました。本当にいい娘を嫁に貰ったと。あなたが傍にいてくれれば、私がどんなことになろうとも大丈夫だと確信していたように思います。母は安堵して亡くなりました。

今日はあなたの誕生日です。こんな私ですがこれからも宜しくお願いします。あなたに初めて、赤いバラを贈ります。心から愛しています。誕生日おめでとう。