娘が母親になるとき (2012年6月5日)

敬天愛人箚記

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いつのまにか娘が母親になっていました。
次女の出産がもうすぐです。

昨年の今頃は、まだ日比谷レディーでした。
高いヒールにミニのスーツで、颯爽と通勤していました。

次女は、小さいころから気がやさしく、周りの人たちにとても気を使う女の子でした。
非常に繊細で神経質な面もありました。

そんな彼女が変わったのは、高校1年のときオーストラリアの高校へ編入してからでしょうか。
何事にも引っ込み思案なところが見られた彼女が、留学を境にとても積極的になっていました。

わたしには、彼女の芯の強さや負けん気の強さが見えていなかったのでしょう。
大学進学の際、地元の高校生と同じ資格で同じ入学試験を受けて、見事希望する大学に合格していました。

オーストラリアへ渡ってから、大変がんばったのだと思います。
親として彼女をとても誇りに思っていました。

帰国し、上京してから外資の会社へ勤めはじめてからも、毎晩遅くまで残業をして、わたしたち夫婦を心配させていました。

やがて、彼氏ができ、妊娠しました。
わたしはまだまだ子供だと思っていた娘が妊娠したことに動揺していました。

妊娠4,5か月のころ、病院の診察で胎児に異常がある疑いがあり、精密検査を受けることになりました。

結果は良好でしたが、明らかになるまでの間、家族みんなが心配したものでした。
ダウン症の疑いでしたから、結果がでるまで2週間、家族それぞれがいろんな想いでいました。

そんななか、娘だけが落ち着いていました。
どんなことがあってもこの子は産むという強い想いが伝わってきました。

おそらく、どんなことがあったとしても娘は産む覚悟をしていたのだと思います。
そのとき以来、わたしは娘に母親としての強さとたくましさを感じました。

出産のとき、わたしと娘婿が二人、おろおろとするのだと思います。
いつのまにか、娘が母親になりました。

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