サラナへ (2011年8月9日)

敬天愛人箚記

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4月に新会社を設立しました。社名の候補にサラナというのがありました。サラナとは、古代インドのパーリ語で、癒し、安らぎ、憩い、よりどころ、帰依するところ、避難するところなどのことを意味します。私は会社を興すにあたり、私の経営者としてのいろいろな経験と、倒産という失敗から学んだことを中小企業経営者のために役立てたいと思っていました。彼らのよき理解者として、相談相手になり、アドバイスをしたいと思っています。私が彼らと話すことで、彼らの不安が和らぎ、心が安らぐことになればと思います。私と私の事務所がサラナとして、中小企業経営者の心のよりどころになり、憩いの場所となることを願っています。

さて、今の世の中、いろいろ悩み事や問題が次から次と起こります。戸惑うことが多く、ときにはつまづき倒れそうになることがあります。過ぎてしまったことを、いつまでも悔み続けたり、まだ起きてもいないこれからのことを心配したりしています。そんなとき、心を癒され、安らぎや憩いを感じることが出来るところを、あなたはお持ちでしょうか。どうしようもなく悲しい時、誰か、心のよりどころとして、頼れるひとを、あなたはお持ちですか。いよいよ耐えがたく進退窮まったとき、あなたは避難する場所をお持ちでしょうか。私には幸いにも、私を愛してくれる家族がおり、温かく優しく迎えてくれる家庭がありました。

以前、熟年離婚という言葉がよく聞かれました。定年退職を迎えた男性が妻から離婚を迫られるという話でした。男の中には仕事と家庭のバランスを上手く取れない人がたくさんいます。家族のために一生懸命仕事をしてきたつもりです。しかし、家族にとっては、いて欲しいときに父親はおらず、いまさら父親ずらされても困るという感じでしょうか。これから家族と過ごす時間を楽しもうと思った時、妻から離婚を言い渡される父親、決して少なくないようです。自分にとって何が一番大事かが分かるのは、大変なことが起きて初めて分かるというのが私たちの常のようです。

動物は子供を育てるため巣をつくります。子供を外敵から守れるよう丈夫で安全な巣をつくります。親自らが休む巣でもあります。その大切な巣を親が自ら壊すなんてあり得ません。しかし、私たち人間の男は家族にとって大切な巣を、自分が帰って休むはずの巣を自分の手で壊しているのかもしれません。心から癒され安らぐことが出来る巣を知らぬ間に壊していることに気付いていないのです。帰るべき巣を失くした動物はどうなるのでしょう。帰るべき家庭を失くした私たち人間の男も同じように命に係る大変な事態であることは、間違いありません。

世間の風が少しぐらい冷たくても、温かい家庭が待っていれば大丈夫です。世間の目が刺すように痛いときは、自分の家に一時、避難しましょう。そして再び飛び立てるときを、ゆっくり、慌てず待てばいいのです。サラナへ。