不合理な確信 (2011年11月7日)

敬天愛人箚記

敬天愛人語録にもどる
私たちが日常よく使ったり、聞く話のなかで、よく考えてみると本当にそうなのって思うことがよくあります。言っている本人は確信あり気に、自信を持って話しているのですが、客観的に冷静に考えると、どうも少し何かおかしいなっていう話がよくあります。それらは本人の無意識な「不合理な確信」が語らせているのです。私たちは、何ら合理的根拠があるわけでもないのに、思い込みでただそう言っていることがままあります。それらを「不合理な確信」と言います。少しご紹介すると、それらは大きく4つに分かれます。

まず一つは、「とらわれ思考」というものです。「男は強くなければならない」「女はやさしくなければならない」などのように、~でなければならないと言うことがたくさんあります。昨今の男性は、強さではなく、やさしさが目立っていますよね。一方、女性はやさしさではなく、強さが感じられますよね。ま、これは今に始まった話ではないのかもしれません。元々、女性は強かったのでしょう。「とらわれ思考」とはある時代の常識をいつの時代にも常識であるかのように言うことだと言えそうです。もうひとつ、「職人は男でなければならない」ってのもあります。和食の世界では板前さんやすし職人と言えば男の世界です。今では女性の料理人もたくさんおり、彼女たちが作る料理が男性料理人が作ったものより劣るとはとても思えません。この話のように、何故なのと聞かれると、何ら根拠がなく確信が持てなくなる話が「とらわれ思考」なのです。

次に、「どうせ思考」というのがあります。「どうせ私は能力がないから、何もできない」とか「どうせ私は魅力がないから、男性にもてない」などです。これらは自分を卑下した表現です。自分を人より、何をするにも劣っていると思っている様子を現しています。何をするにも自信がないとき、心が消極的になっているときによく使います。人が積極的で前向きなときには、決して使いません。

3つ目は、「非論理的思考」というものです。「彼氏にふられた。もう誰とも結婚できない」「リストラにあった。もう俺の人生は終わった」などです。これらは非論理的であると同時に悲観的でもあります。今の恋人に振られたから、もう誰とも結婚できない理由や根拠がどこにもありません。リストラにあってもやることはたくさんあります。リストラなんて人生の通過点で起きるひとつの出来事でしかないのに、人生すべてが終わると言うには、説得力に欠ける話ですね。しかし、日常生活ではよく耳にします。

そして最後は、「過去とらわれ思考」とでもいうものです。「私はこんな男と結婚するべきでなかった」「私はこんな仕事をするべきでなかった」などです。どちらも、とっくに過ぎ去った出来事に、いつまでもとらわれています。過去の出来事や、過去の自分や人は、どうやっても変えることができません。概してこういうひとは、これから先のことが話せません。これからどうすべきかといった未来の話をするには、想像力を働かせねばなりません。そういう作業はエネルギーを使うことになり、やろうとはしません。過去の話は無意識に容易にでき、楽にやれます。

さて、以上4つが、「不合理な確信」がそれぞれ語らせています。これらの共通点は、否定的、消極的、非論理的、悲観的、後ろ向きといったネガティブなイメージです。これらの言葉は、深く考えて出たのではなく、無意識に自然に口から飛び出すものです。これらの思考を止めるには、意識して心を前向きで積極的な状態にせねばなりません。これには非常に大きなエネルギーが必要です。人の言葉と心は連動し、一体です。「不合理な確信」による話は、人の心を委縮させてしまいます。私たちは意識して心がけて、積極的で肯定的で前向きで楽観的な言葉や話をすることで、心の健康を維持することができます。