友を悼む Stephen K Yamashiro (2011年6月1日)

敬天愛人箚記

2011年5月25日、ホノルルで私の最愛の友人が亡くなりました。Stephen K Yamashiro(スティーブン山城)元ハワイ郡長・ヒロ市長です。長年、心臓病を患い幾度かの手術を受け、懸命に闘病していました。肺炎を起こしての最後でした。69歳でした。彼は日系3世で、ハワイ郡議会議員を長年務め、1992年~2000年までハワイ郡長並びにヒロ市長を務めました。日本への功績は数多くあります。JALの成田・コナ間の直行便開設に尽力し、日本の数都市との姉妹提携を結んだことなどです。

彼が郡長であった頃、私が洲本市国際交流協会の役員として、ハワイ島との姉妹提携のお願いに行ったのが、彼との出会いでした。当時、日本の数都市と姉妹提携をしており、もう一つ増やすことは難しいという雰囲気でした。そこで、まず中高生の交流から始めてもらいたいとお願いし、交流が始まりました。ハワイ島での我々のスポンサーとしてハワイ花卉協会を推薦してくれたのも彼でした。2年後、洲本市とハワイ島が姉妹締結の調印をしました。彼が郡長を勇退する前にしておこうとの彼の配慮でした。以来、本年で姉妹締結11周年に至ります。

彼は実に穏やかで温厚で誠実な人でした。姉妹締結5周年記念のフェスティバルを洲本市で行いました。彼は郡長を勇退していたにもかかわらず、デラ夫人とともに淡路島まで来てくれました。義理と人情に厚い彼らしいと感激しました。彼が勇退し、私も洲本市国際交流協会会長を辞してからも付き合いが続きました。ハワイ島へ何度も行くようになった私は、いつしかハワイ島の人々、特に日系人の方々に魅せられていました。古き良き時代の日本人の心を持った彼らに何とも言えない郷愁を感じ、ほんとうの故郷に帰ったかのような懐かしい想いがしました。

あるとき、彼が私の長男をハワイ島の高校へ来させたらどうかと言いました。彼の言葉に従い、私の息子はヒロのセントジョセフ高校に入学し、現在シアトル大学の4年生になりました。ヒロでは、彼の友人にホストファミリーを引き受けてもらい、いまも本当の子供のように可愛がってもらっています。

彼は10年程前から体調を崩し、入退院を繰り返しました。この数年は体力を失くし、体重を著しく減らしていました。そんななか、私が会社を倒産させてしまいました。それを知った彼が大変心配をしてくれました。たくさんのハワイの友人から、彼が会うたびに「大石は大丈夫か」と言っていたと告げられました。そのたびに私は心からありがたいと感謝の気持ちでいっぱいになりました。早く再起をし、彼に会いに行かなくてはと思いました。そんなときの彼の訃報でした。無理をしてでも会っておくべきだったと後悔の毎日です。彼のことを想い出すと涙が出ます。会えば優しく微笑んで語りかけてくれた彼がもう居ないかと思うと、やりきれなく、淋しく思います。一日も早く彼の墓前に参ります。

   わが友 スティーブン やすらかに