相性 (2011年8月23日)

敬天愛人箚記

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気が合う人、合わない人がいます。相性がいい人、悪い人がいます。相性がいい人とだけお付き合いをして、悪い人とは付き合わなければ、何の問題もありません。しかし、世の中そううまくできていません。えてして、自分の周りで、それこそ大切なポジションに限って、自分と相性の悪い人が立つものです。家族のなかでも、気が合う、合わないがあります。家族だからみんな相性がいいとは限りません。友人のなかでも、職場のなかでも、取引先のなかでも、えてして、どうしても接する機会が多いポジションほど気が合わない人が付くものです。

私が最も相性が悪かったのは、昨年、亡くなった私の親父でした。子供のころから親しみが持てず、会う機会が少なかったこともあったのか、何しろ苦手でした。二人の関係が決定的に悪化したのは、私が親父の会社に入ってからでした。親父と接する時間が長くなり、それまで知らなかった人間としての親父がいろいろ見えてきました。私は親父を知れば知るほど好きになれませんでした。親父は私の考え方や行動がどうしても理解できないようで、私にどう接したらいいのか分からない様子でした。私は、親父とは相性が悪いから仕方がないと考えていました。今、思うと「相性が悪い。」と考えた瞬間に、一種の思考停止が起きていたのです。気が合わないということで、それ以上、相手を理解しようとする努力をしなくなっていました。これ以上深く関わりたくないというサボタージュであったのでしょう。

私はかつて30歳で社長になりました。当時私の会社の最も重要な得意先の社長と、最も取引量が多く大切なな仕入れ先メーカーの社長と、わたしの会社のメインの金融機関の理事長の3人と、私は相性が悪いと思っていました。若くして社長になった私は、業績がそこそこ良かったこともあり、自分の経営能力を過大評価していました。そして他の経営者を過小評価していたのです。若気の至りとはいえ、恥ずかしい限りです。そんな私を彼らが好ましいと思うはずもありません。「相性が悪い。」ですませてしまった私は、彼らとの関係改善など進めようとすら思っていませんでした。後にそのつけは、大きなものとなって、私に返ってきました。

私は倒産したことで多くのことを学び、気づかされました。人間として至らぬところが次々と明らかになりました。気が合わない人、相性が悪い人が何故私にできたのかと考えると、実は私が勝手に独りで決めていたのだと思い至りました。私が少しでも謙虚で素直であれば、彼らとの関係も少しは変わっていただろうと思います。相性がいい、悪いは私の都合勝手な話だったのです。私の不遜な心の在り方や気持ちが、彼らの反発を招いたにすぎません。私の言動にただ彼らが反応しただけだったのです。

私の息子が私にそのことを教えてくれました。かつて私と息子の関係もうまくいっていませんでした。私が息子とどう向き合って接したらいいのか分からなかったのです。まさに私の親父が私との触れ合いに苦慮したのと同じでした。それを私はまた一方的に相性が悪いでかたずけていました。私が倒産した後、アメリカにいた息子が頻繁に電話をしてくれました。私にやさしい言葉をかけてくれ、励ましてくれたのです。そしてやっと私は気づかされたのでした。息子は以前と何も変わっていません、もともと私のことを気遣ってくれるやさしい子であったのです。それに私が気づいてなかっただけだったのです。私が愚かな親父であったから、息子の魅力や素晴らしさが分からなかったのです。

相性がいいとか悪いとか、そんなことはどうでもよかったのです。すべては自分自身の在り方にあったのです。そう息子に教えられました。