Mへの手紙(3) ~𠮟れども非難はせず~

敬天愛人箚記

Mへの手紙 (3)

前略

M、おめでとう。
Cが懐妊したこと本当に嬉しく思います。
貴方が父親になる日が来るとは想像が出来ませんでした。

貴方は自分で言っていましたが、きっといい父親になると、私もそう思います。
孫を抱ける日を楽しみにしています。

さて、ここ最近いろんな会社の社員を見るたびに思うのです。
お父さんがかつて経営をしていた会社の社員たちのレベルが高かったと改めて
実感しています。

当時は不満に思うこともあったのですが、相対的に我が社の社員のレベルが高い
と思っていました。
ただ面と向かって彼らにそうは言えませんでした。

特に営業マンのレベルが良かったと思います。
いわゆる決まった固定客へのルートセールスではありましたが、強力なライバル
会社に常に差をつけていました。

一人一人個性豊かでしたが、実に真面目でした。
客からの信頼も多く得ていました。
そして確実に受注をしてきていました。

ただ、貴方も知っての通り、お父さんの会社は淡路島にありました。
そして顧客も淡路島だけでした。
長い間、淡路島だけでたくさんの仕事がありました。

それが時代の流れとともに多分に漏れず顧客の仕事が激減してきました。
当時のお父さんの判断でこのままではダメだということで島外へ活路を求めて
いきました。

当初、私とともに島外で仕事が出来ると思われる社員を連れて出ていきました。
少しずつ仕事が取れるようになると少しずつ営業所、支店を増やしていきました。
気が付いてみると沖縄から北海道まで営業所、支店が出来ていました。

その間、淡路島からだけの転籍では間に会わず社外から多くの人材を入れていく
ことになりました。
いつしかプロパーの社員と現地採用の社員とが同数位になっていました。

いつの間にか、彼らの間には私には分からない確執ができているようでした。
社長の私はそれに気づきながらこれといった手を打つことなく済ませていました。
役職、ポジションで私なりに互いに配慮したつもりでいました。

私のプロパー社員への不満は新規顧客を獲得出来ないことにありました。
淡路島での営業は決まった顧客のところへルートセールスのように行けば仕事が
もらえていました。

島外では顧客にするにはすべて新規開拓以外にありません。
それがどうしても彼らには出来なかったのです。
それが私には甘えとしか見えませんでした。

また、現地で採用する営業マンは前職で顧客を少しは持っている者を採用してい
ました。
彼らにはプロパー社員にはない地の利と人の繋がりがありました。

当初はプロパー社員たちをよく叱っていました。
ほとんどの社員が単身赴任で出ていました。
私は家族で行けるならそうして欲しかったのですが、誰もが家族を島に残して
いました。

彼らはまるで古代日本の防人のような心境であったのかもしれません。
いつも島へ帰ることを考えていたのでしょうか。
私だけが一人、淡路島から出て日本全国を市場に仕事出来ることに喜びを感じて
いたのでしょう。

当時もプロパー社員を叱りこそすれ批判や非難はしませんでした。
私自身、彼らに無理を強いているのかもしれないと思うようになっていました。
淡路島だけでやっていれば彼らは優秀な営業マンだった訳ですから。

今こうして思い返してみて思うのは彼らへの懐かしい思いでいっぱいだという
ことです。
同郷の人間でありアイデンティティすら感じます。

今日は何やら昔の思い出に耽ってしまいました。
お父さんは決して良い経営者ではありませんでした。
しかし、社員一人一人を心から信頼、信用していました。

裏切られたことも何度かありましたが、それはお父さんが人を見る目が無かった
ことにすぎません。
その彼らすら今は懐かしい思い出です。

今日も長くなりました。
風邪など引かず仕事に邁進してください。

お父さん