親子経営 接ぎ木の話

ビジネスコラム

親子経営 接ぎ木の話

 以前のコラムで親から子への事業継承は接ぎ木だと書いたことがあります。そのコラムでは、父親が長年創り上げてきたビジネスモデルを後継者が父親に相談無く変えてしまうという話でした。

 父親が長い年月を掛けて美味しいみかんがたくさん実る木を育ててきました。しかし年月が経つとともに実るみかんの数が段々と減ってきていました。そこで父親は息子に大事なみかんの木を託すことにしました。

 父親の跡を受けた息子は思い切って古いみかんの木を切ることにしました。そして接ぎ木をして新たに果実を実らせることにしました。息子が丹精を込めた結果、見事にたくさんの果実がたわわに実りました。

 父親は大喜びでその木を見に来ました。その木を見た父親は驚き、次には息子に大きな声で怒ります。なんとその木には見事に大きなたくさんの美味しそうな桃が実っていました。息子がこれからはみかんでなく桃を作ろうと桃の木を接ぎ木していたのです。

 父親に怒られた息子は訳が分かりません。父親に代わって懸命に木の世話をしてきたのに一方的に叱られる意味が分かりません。理不尽だと息子は思います。

 事業継承では実際によくある話です。父親に代わって社長になった途端、それまでのビジネスモデルを父親に相談することなく変えてしまいます。大塚家具の長女がされていることはこれと同じケースになります。

 今回の接ぎ木の話は、父親のビジネスモデルを息子が改革、革新を成し遂げ新たなビジネスモデルを創り上げるという話をします。同じようにみかんの木に桃の木を接ぎ木して立派な桃をたくさん実らせるという話です。

 今日のNewsPicksにIoTウェアラブル企業「ミツフジ」の記事を見つけました。元々は京都の西陣織の帯を製造する会社でした。祖父が創業し父親が跡を継ぎました。父親は衰退する織物事業からの転身を模索していました。

 そんなとき父親が目を付けたのがアメリカの会社が開発した「魔法の糸」銀メッキ繊維でした。父親は単身渡米し、片田舎にある開発者を訪ねます。そして奇跡的に日本での独占契約を結んで帰国しました。
 
 その後、父親は「魔法の糸」の用途を模索することに熱中していきました。そして「消臭靴下」を開発しヒット商品となりました。しかしその後が続かず、大手メーカーへ繊維を供給することで何とか経営を支えていました。

 そしていよいよ資金繰りにも限界が来、もうだめかと思うとき息子が帰ってきてくれました。三代目社長となった息子がまずしたことは、「魔法の糸」以外の取引を止めたことです。そして銀メッキ繊維に集中していくことにしました。

 父親は「魔法の糸」の使用用途の模索に苦しみました。当初は三代目社長も同じように苦しむことになりました。それまでの大手企業の下請けではなく自社が主体となり事業展開が出来るよう、最終商品を自社で開発することに徹しました。

 結果、紆余曲折を経て、シャツ、ヘルメット、バンドなどで生体情報を得ることができるウェアラブルデバイスの開発に成功しました。現在は毎日、世界中の会社から問い合わせが引きも切らない状況だといいます。

 これなどは、父親のみかんの木に桃の木を接ぎ木し、見事たくさんの果実を実らせたという事例です。 後継者が父親のビジネスモデルを引き継ぎ、改革、革新の手を打ち次代のビジネスモデルを創り上げました。

 前回のコラムで書いたように、ビジネスモデルは経年劣化を起こします。そのとき経営者がどうするかが最も大切な事です。自社のビジネスモデルを見直し、見極め再構築すること、ここにこそ経営者と後継者の重要な役割と責任があります。