長女のお帰り (2011年8月31日)

敬天愛人箚記

敬天愛人語録にもどる

長女がニューヨークから帰ってきました。昨年、一時帰国しましたが、今回は1年半ぶりに私たちと暮らすために帰ってきました。これから、私たち夫婦と娘二人の暮らしが始まります。予期していなかったので、父親としては、嬉しい限りです。人生、何が災いし、何が幸いとなるか、分からないものです。事情はどうあれ、家族がまた一緒に暮らせることの有難さに心から感謝しています。

昨年春、長年経営した会社を倒産させたとき、自分一人が大変な思いをし苦しんでいると、思うことがありました。しかし、実際には家族が私以上に驚き、戸惑い、苦しんだのだと思います。それでも彼らは私を案じ、支えてくれました。それまでの私は家庭を顧みず、仕事と遊びを優先させていました。あの生活が続いていたなら、妻とは不和になり、子供たちの心は私から完全に離れていたに違いありません。倒産という代償を払わなければ、私は気づかなかったのでしょう。

会社を潰したとき、家には妻と長女がいました。次女はニューヨークで仕事、長男はシアトル大学4回生で卒業間近でした。私と妻が尼崎の親戚宅で世話になっている間、長女が一人淡路に残り、雑事や整理をこなしてくれました。いやな思いもたくさんあったと想像しますが、約1か月、私たち夫婦に代わり、家を片づけてくれました。その後、次女がいるニューヨークへ看護師資格取得のため旅立ちました。

その後、長女と入れ替わるように、次女が帰国してくれました。次女は私たちとともに暮らすことを心に決め帰ってくれました。次女が東京で就職し、私たちが後から上京しました。そうして、昨年9月から私たちの東京下町暮らしが始まりました。実際、次女がいなければ私たちだけではアパートすら契約出来なかったに違いありません。何しろ私は破産者で妻は無職でしたから。今、私たちが住んでいる家は次女の名前で借りています。家賃も次女がサラリーから負担してくれています。やさしい娘たちに心から感謝です。

帰国した長女は、私が通院している病院に勤めることになるでしょう。娘二人が働いて私たち夫婦を支えてくれている間に、私が一日も早く、人生を再始動させなくてはなりません。頼りない父親で申し訳ないです。そんな長女がずっと言い続けてくれていました。「お父さん、これから、きっといいことがたくさんあるからね。」私もそう信じています。私は白血病になり、会社を倒産させ、確かに大変な思いをしました。しかし、よく考えてみると、倒産以来、たくさんの親戚や友人に助けてもらい、家族に支えられ、平穏に充実した日々をおくらせてもらっています。日々、楽しいことや嬉しいことがたくさんあり、本当に幸せです。長女が言う通り、これから私たち家族に、いいことがたくさん起こりそうな気がしています。

我が家の長女のお帰りです。