Mへの手紙 (1)~蛙の子は蛙~

敬天愛人箚記

Mへの手紙 (1)

前略

 東京はもうすっかり冬の気配に包まれています。
私も母さんもお姉ちゃんたち夫婦もそれから貴方の可愛い
甥たちもみんなおかげさまで元気で暮らしています。

貴方が住むロサンゼルスの街はどうですか。
もう朝晩はめっきり冷え込んでいるのでしょうか。
貴方たち夫婦のことですから仲良く暮らしているのでしょうね。

早いもので貴方たちがロスへ帰ってもう2か月になります。
今回は3年振りの帰国で10日間の滞在でしたが祖国を堪能して
帰ったでしょうか。

帰国するまでは帰ったらあれも食べたいこれも食べたいと食べる
ことばかり話していましたが予定通りみんな食べることが出来た
のでしょうか。

私たちみんな貴方たちが帰った後も相変わらず賑やかに暮らして
います。
電話で話した通り貴方たちが帰ってすぐに、上のお姉ちゃん夫婦に
初めての子供が出来ることになりました。

貴方もとても喜んでいましたね。
下のお姉ちゃん夫婦のところが男の子二人なので、みんなが次は
女の子だと決めつけています。

さて、貴方が今の会社に入ってもう3年になるのですね。
その間に貴方は働きながら自分の稼ぎでビジネススクールに通い
修了したのですね。

私に経済力が無いので貴方には自分の力でこれからも生きていって
もらうしかありません。
不甲斐ない父親で申し訳なく思っています。

この間の電話で貴方は営業職に就いたと言っていました。
貴方の会社が日系企業との取引がそれほど多くなく、貴方に日系企業
との取引拡大を期待されているという話でしたね。

貴方にとってとても遣り甲斐がある仕事だと思いました。
それと貴方には営業という仕事がとてもよくあっていると思いました。
何故なら貴方が私の息子だからです。

カエルの子はカエルなのです。
私は好むと好まざるに拘らず商売人の息子です。
そして貴方もまた商売人の息子なのです。

私は大学時代いわゆる文学青年でした。
アルバイトと芝居の練習以外、ほとんど本を読んで過ごしていました。
出来れば出版関係か新聞社に就職したいと思っていました。

そんな私が親父の跡を継ぐことにして田舎に帰ったのでした。
親父の会社は田舎の建材会社でした。
おもにセメントと鉄筋を地元の建設会社に売っていました。

大学を卒業して帰ったばかりの私はとても恥ずかしがり屋で人見知りで、
とても営業など出来るとは誰もが思ってもいませんでした。
私だけが俺なら出来ると思っていました。

もの心がついた頃から私は親父に車に乗せられ取引先の土建屋によく
連れていかれていました。
幼い頃に親父と二人でどこか遊びに連れていってもらった記憶などあり
ません。

今でも想い出すのは小さな車に乗せられ休日に土建屋廻りをする親父と
幼い私の姿です。

不思議なもので私が誰に連れられることもなく一人で土建屋廻りをし始
めたとき、「まいどー、大石です。今日はなにかないですか」とその昔
親父が言っていたのと同じ言葉が出ていました。

だから貴方も何も心配することなどありません。
貴方にも私と同じように商売人の血が流れています。
自然と貴方の口からも私と同じような言葉が出てきます。

私の親父は客先では快活によく笑っていました。
私もよく笑顔を客から褒められたものです。
貴方も子供のころから笑顔が可愛いとよく言われていましたよ。

ビジネスの基本は人対人の関係性にあります。
その関係性が良ければ上手くいきます。
ただそれだけのことです。

貴方は子供のころからたくさんの人から可愛がられました。
多くの人から好かれていました。
それが一番大切なことです。

なにも難しいことなどありません。
相手に対して誠実に真剣に接していればいいのです。
妙な駆け引きなどいりません。

私は貴方が営業マンとして立派にやれると確信しています。
きっと早い間に会社の中でも頭角を現すだろうと思っています。
これまで通りいつも笑顔で思いやりを持って仕事をしてください。

今日は少し長くなりました。
風邪など引かず元気でいてください。
貴方の妻Cにもよろしくお伝えください。

お父さん